川上未映子ってワケわかんないね

川上未映子ってワケわかんないね。でも嫌いじゃない。わるくない。最近は有名文学賞を外国人が受賞したり、文学そのものがマンネリ化してきたのか、あるいは文章の基礎的レベルの低下をごまかすようですらあるけれども、表現幅が社会に対応して拡がってきた、押し拡げられてきたともいえるのか。それは新しい知性とか感性というステキなものではなく、人間がすこしずつ物質的に豊かになり、科学技術を発展させ、経済活動を行っていく途中で、その時々に表れるある種の「型」のようなものかなと思う。アメリカ人は英語をしゃべり、日本人は日本語をしゃべる。日本の中でも、関西の人は関西弁をしゃべる、女子高生は女子高生の言葉をしゃべる、老人は昔の言葉遣いでしゃべる。様々な言語のまとまりがあり、そうしたまとまりの一つとして、川上未映子的な女性的でくだくだしいヒステリックな文体(といっては失礼か)がある、と。ただ、恋空のような携帯小説とか数年前の綿矢りさ、金原ひとみなどが出てきたときにも感じたけど、情報通信の発達によって誰でも手軽に創作できるようになったネット文学の膨れ上がったマグマを、出版社やマスコミが煽り立ててきた面は強烈にあるだろうね。だから、それは文法的文章的な意味での文学を貶めたろうし、一度くだらないもののくだらなさを開放すると、二度と元の次元に戻ってこないというアレがあるのでしょう。文学って雰囲気というか風格だと思うのですね。べつにオチャラケていても文学だなーと感じる作品もあるし、格調高い文章を書けばそれで文学かというとそうではないと思うけど。つまり、彼・彼女たちが出てきた理由は、過去の偉大な詩人や小説家たちによってあらゆる美文、あらゆる格調高い文章、あらゆる恋愛、あらゆる詩的な言いまわしが網羅されたために、やむなく逸脱したものを書くことになった、というわけではないだろうと。その、「やむにやまれず感」が本物の文学であると個人的に思うところで、それを今の小説からは感じ取れないので全然読む気になれないわけです。本のタイトル見ただけで底の浅さが見てとれるようなのが多い。恋愛モノにしても、ジャンル的に過去の名作とカブる点が多々あるとしても、何かしら真に迫るものが書けるはず、誰か書けないんだろうかな、と思う今日このごろです。

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